金蘭千里中学校・高等学校

中高一貫・男女共学

大阪府吹田市藤白台5丁目25番2号

TEL:(06)6872-0263

ひとびと

卒業生

卒業生座談会

教頭(当時)から
現役大学生までの
各世代6名に

世代間対談(2014年実施)

【座談会出席者】12期 大中 章(金蘭千里中学校・高等学校教頭)/22期 中島 英樹(大阪市立総合医療センター、脳神経外科副部長)/25期 山下 雄史(東京大学先端科学技術研究センター特任准教授)/26期 宇田 美穂(大阪地裁判事、大阪簡裁判事)/45期 前川 壮太(京都大学法学部3回生)/47期 岡野 侑紀子(大阪大学医学部1回生)
(※肩書は実施当時のものです。)

 

教頭先生(当時)を含め、現役大学生まで世代を越えて集まった卒業生6名。
年代は違っても金蘭千里中学校・高等学校で6年間を過ごした経験は、すべての卒業生たちの中に、しっかりと根をおろしています。
母校での思い出を語るひと時、学生時代に戻ったように会話が弾みました。

金蘭千里中学校・
高等学校で、
育まれたもの

今思う「金蘭千里の5分前行動」

「金蘭千里では5分前行動が当たり前になっていたので、大学・社会に出て、周囲の人たちの時間のルーズさに驚きました」
 金蘭千里の生徒の気質といえば「真面目」、「勉強への意識が高い」、「仲良し」、「悪く言えば、自主性がない」などの声があがる中、中島さん(22期生)の「時間を守ること」という発言に、卒業生全員が大きくうなづきました。学生生活で教えられてきた「5分前行動」は、いつの間にか当たり前のことになり、卒業後も生活の中に息づいているのです。
 現在、大阪市立総合医療センターで脳神経外科の副部長を勤める中島さんは、「時間を守れば仕事もうまくいきます。それだけ信頼が得られるのです」といいます。金蘭千里で身についた「5分前行動」という習慣は、医師という職業においても役立っているのです。

「20分テスト」が育てる継続する力

 金蘭千里では、毎朝「20分テスト」が実施されています。
 毎朝では、さぞ大変だったろうと思われますが、卒業生の感想は意外にも、「当たり前のことになっていたので、大変だとは思わなかった。勉強のリズムが生活のリズムになって、コツコツ続けることの大切さを学びました」(宇田さん(26期生))、「大学に入ってからは誰もハッパをかけてくれないので、『毎朝20分テストがあったらなぁ』と試験のたびに思います」(前川さん(45期生))といったものでした。
「嫌だった」という中島さんでさえ、「嫌でしたけど、周りが頑張っているので、『なんやねん』という気持ちで頑張りました。その気持ちがなければ、今の自分もなかったでしょう」と笑って話されました。

金蘭千里中学校・
高等学校から、
未来へと続く道

厳しさ、優しさ、誠実さ「恩師」

 金蘭千里の職員室は廊下に面してガラス張りになっているので、「入りやすかった」と話すのは岡野さん(47期生)。「質問があるときは、放課後、職員室に行って、よく"そこ"に座って先生を待ったものです」
 "そこ"というのは、職員室内に設置された生徒の「待機専用の椅子」のこと。今も放課後は、毎日たくさんの生徒が職員室を訪れます。だから、職員室にはこんな椅子が必要なのです。
 12期生でもある大中教頭先生は生徒だけでなく、職員室を訪れた卒業生を「久しぶりやなあ」と温かく迎えていました。在学中だけでなく、卒業後も恩師を慕う卒業生、慕われる先生、その関係もまさに金蘭千里の姿なのです。
 岡野さんは、現在、大阪大学医学部の一回生。「大学に入ってから、治療するだけが医者ではないと実感させられた。知識だけでなく、広い視野、思いやりを含めた人間性を高めて、人の役に立ちたい」」と考えているそうです。

社会への貢献への想いを受け継ぐ

 一方、研究者である山下さん(25期生)は、在学中は好きな教科ばかり勉強して、先生にとがめられたこともあると言います。「だけど、中には温かく見守ってくれる先生もいて、そういった先生に出会えたからこそ今の自分があるのです」。
 "温かく見守ってくれた先生"とは、現教頭の大中先生でした。だから「好きだったことの延長で、仕事にすることができた」といいます。近年はスーパーコンピューター「京」を使って、薬のデザインの研究を手掛けているそうです。
 その大中先生は、大学時代に家庭教師のアルバイトをしていた時、「生徒や保護者の嬉しそうな顔を見ていると、自分まで嬉しくなった。どうせなら母校で教師をしよう」と、30年前から教壇に立たれています。
 50周年を迎える金蘭千里は、現在、改革の真っ最中。「本当に良い生徒に恵まれました。卒業後の各方面での活躍は何よりの喜びです。これからも、卒業してから何年後でもいい、金蘭千里で学んで良かったと思ってもらえる学校にしていきたい」、また、「社会に貢献できる生徒をこれからも輩出し続けていきたい」と、熱い想いを語ってくれました。
「社会貢献という面で考えると、新しい確かなビジョンを世間に提供し続けなければいけないと思っています」と語るのは、大中先生が育てた山下さんでした。師の教えは、確実に次世代に引き継がれています。
 また、宇田さん(26期生)が法曹の道を選んだきっかけも、現校長の辻本先生の授業でした。大阪地裁で裁判を傍聴したことから、大学は法学部に進むことを決意。現在は裁判官として活躍しています。
「被害者の想い、被告人の抱えていた事情や果たすべき責任を考える一方、それぞれが新しい一歩を踏み出すことができるように、これからも手助けを続けていきたい」といいます。辻本校長の1つの授業が、1人の生徒の人生の道しるべとなったのです。
 脳卒中外科を専門とする中島さんは、職業柄、真夜中に呼び出されることも多いそうです。「つらいことも含めて仕事。思うようにいかないことも多いですが、気力・体力の続く限り医師でありたいと思っています」という言葉にも、先生がたの「社会へ貢献できる生徒」という想いが受け継がれているようです。

金蘭千里中学校・
高等学校での、
思い出は財産

仲間との協力「キャンプ」「高中祭」

「テントで遅くまで友達と話し込んだのは良い思い出です」
 宇田さんの心に今も強く残っているのが、大山での3泊4日のキャンプ。毎年、各学年で開催されるこのキャンプは、できるだけ自然の近くで仲間と共同生活を送るもの。金蘭千里の「全人的教育」の大きな柱となっています。
「普段の勉強がすごく厳しい分、キャンプはすごく楽しかった」と言ったのは中島さん。それをきいて他の卒業生が笑ったのは、共感の現れでしょう。
 2日間にわたって開催される高中祭も、キャンプ同様、勉強だけでは学べない晴らしい体験です。
 浦島太郎のパロディ映画を製作・編集して放映した岡野さん(47期生)は、「準備期間は長くて大変だったけど、お客さんの入りも良く、当日はあっという間でした」。アメリカで大ヒットしたミュージカル映画『ハイスクールミュージカル』の公演をしたクラスもあったそうだ。
 前川さんは、先生や卒業生から不要な本を譲ってもらい、古本市を開きました。こちらも準備期間はとんでもない忙しさでしたが、仲間と助け合いながら過ごした時間は充実したものだった、楽しそうに話してくれました。

広い視野を「海外研修」で

 金蘭千里高校では、希望者は1年の夏期休暇中に、イギリスで海外研修を受けられます。前川さんはラグビーで有名な学校で3週間を過ごしました。
 初日こそ金蘭千里の生徒ばかりで集まっていたものの、次第に現地の生徒とも交流を持つようになり、スペイン人の生徒とよく遊びに出かけたそうです。日本で当たり前だったことが、そこでは当たり前ではなかったという経験や新しい世界を知ったことは、16歳の少年にとって、広い視野で将来を考えることにも繋がっていったようです。
 現在、前川さんは京都大学法学部3回生。好きだった千里山駅前の桜並木がなくなってしまったことを嘆きながら、「将来的には、行政にかかわる仕事がしたい。移り変わりの激しい世の中で、何を残すのか、どう変えればいいのかをしっかりと考えて仕事をしたい」と話していました。

受験生の皆さまへ
金蘭千里中学校・
高等学校で、
人生最高の出会いを

「あくまで金蘭千里は自分を『鍛える』場所であり、学校生活は楽しいことばかりではありません。すべての受験生に来てください、と簡単に言うことはできませんが、自分を鍛えたいと考えるのなら、これほどしっかりとした教育を受けられるところは他にありません」と山下さんはハッキリ言います。
 中島さんも、「本当の自由とは、制約がある中で得られる自由のことだったんだと、卒業してから気づきました」、ただ楽しいだけの学校生活はないと断言します。
 一方で前川さんは、「クラスの人数が少ないので結束は強くなり、一生の友達ができる。頼りたいときに頼れる先生、人生の師に出会える場です」と言います。
 金蘭千里は1クラス30人、6クラスあり一学年の生徒は180人です。毎年クラス替えはありますが、学年担任の先生は持ち上がりで、いわば6年間を同じ生徒、同じ先生と過ごすというのも金蘭千里の特徴です。
 その6年間には、厳しさと、優しさと、何より愛情が詰まっています。
 それを自ら経験してきた卒業生だからこそ、その両面をしっかりと受け止め、通りいっぺんではないアドバイスを受験生の皆さまに語れるのでしょう。

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