卒業生
卒業生インタビュー
39期生・大阪大学卒の銀行員
山本美菜さん
卒業後も母校である金蘭千里をたびたび訪れ、中学・高校時代の担任の先生方とも交流があった山本美菜さん。第一子の出産後、2年ぶりに訪れた母校で、金蘭千里時代のこと、大学時代のこと、社会人として、母として思うことなど、現代をしなやかに生きる卒業生のライフスタイルをうかがいました。
(2016年実施)
入学してから実感した、
金蘭千里の伝統
山本さんが中学受験の志望校に金蘭千里を選んだのは、「閑静な住宅街にあり、落ち着いて勉強できる環境であることと、通いやすいこと」というご両親の意向の他に、当時は受験科目に社会がなく、山本さんが得意な国語・算数・理科という強みを生かせることが理由でした。受験前から、金蘭千里では「毎朝20分テストを実施している」「文化祭などの行事がない」ことは知っていましたが、それを実感するのは入学してからだったとか。
入学当初は、「とにかく"毎朝テスト"というプレッシャーがありました。電車の中で勉強したり、早めに登校して勉強したり」と、毎日のことに驚いたそうです。楽しそうに通学する他校の生徒を横目に、「どうして私達だけ毎朝テストばかり……」と思ったことも。けれど「初めは"とにかくやるしかない"と仕方なく勉強していましたが、6年間も続くといつの間にか習慣になっていて。後から思えば良かったですね」と振り返ります。生徒にとっては強制的とも思える"20分テスト"ですが、おかげで毎日勉強することが習慣になり、学力の基礎がしっかり身についたことは、大きな財産だったようです。
年間行事としては、山本さんの在学当時からキャンプがありましたが、遠足や高中祭(文化祭、体育祭)などはありませんでした。高校生になった頃に「他の高校にある文化祭や体育祭が、なぜ金蘭千里にはないんだろう」と、他校をうらやましく思ったといいます。けれど「この学校の中で、いかに楽しむか、ということを逆に楽しんでいた」と、与えられた環境の中でたくましく生き抜く強さを垣間見せてくれました。
6年間で培った習慣が、
強みになる
中高一貫校の金蘭千里では、大学受験へ備えた学力と姿勢を6年間かけてじっくりつくり上げていきます。そのため山本さんも「急に受験勉強に切り替わったわけではないけれど、高校2年生の時に塾に通い始め、次第に受験モードになっていった」といいます。古典や英語を当時の担当の先生から個別に教わったり、先生オリジナルのプリントで勉強したりするなど、金蘭千里ならではの"個別対応"が受験に際して大いに役立ったようです。
現役で大阪大学・経済学部に合格。「もともとお金の流れに興味があったのですが、大学での勉強はもっと学問的でした」。それは一見理想論に思えることもあったとしながら「社会に出て初めて、あの時のミクロ経済学って、こういうことだったんだ」と気付くことも多かったといいます。また大学時代の定期試験の際には、他校出身の同級生に比べて「金蘭千里時代の"20分テスト"で培った力が発揮できた」とか。毎日の授業で理解を深め、毎回ノートをまとめるなど、その日学んだことをしっかり自分の知識として蓄積する力がすでに身についていたので、定期試験にも慌てずに臨むことができたそう。6年間で培った習慣は、卒業後もしっかり生きているのです。
大学卒業後は地方銀行に就職し、主に融資の担当に。「決算書などを見ながら、会社の内情を知ることができるのは興味深い仕事」だったとか。融資をした会社が事業拡大し、その喜びを分かち合うことができるのは融資担当の醍醐味のひとつだそうです。
そして入行2年目、大学時代に大学OBとして知り合ったご主人と結婚。大阪大学時代にアイスホッケーの選手として活躍したご主人は「ピーターパンのように、子ども心を忘れない人。常に何かに興味を持って挑戦しているバイタリティあふれる人」だそうです。企業の営業職として働きながら、2年前まで社会人リーグのアイスホッケー部キャプテンとして活躍していたという体育会系。「主人いわく、その経験が、社会での上下関係や仕事上のストレスにも耐える力になったようです。精神力が鍛えられるのでしょうか」という山本さん。彼女自身については「体育会系ではないですが、理不尽なことにも耐えられる性格。"今耐えたら、後で生きてくる"と、自分に言い聞かせるタイプ」と自己分析していました。
社会人として、母親として、
一人の女性として
人生を考える
結婚後ほどなくして、長女を妊娠、出産。
「どうしても赤ちゃん中心の生活になりますので、自分のやりたいことがやりたいタイミングでできないんですね。これはストレスですね。たとえばトイレに行きたいときにサッと行って戻る、ということもなかなかできないんです。日々小さなストレスの積み重ねでしんどくなるのですが、実家や子育て経験者の知人に助けてもらいながら過ごしました。この時期、"実家が近い"、"夫が協力的か"、"協力者が得られるか"などによって、ずいぶん生活は変わると思いますね」
約2年間の産休・育休を経て仕事に復帰します。窓口業務や融資の業務をこなしながら、現在、第二子を妊娠中。「二度目の産休・育休の後、また仕事復帰する予定です。昔は、女性は結婚や出産で退職する風潮がありましたが、今は国を挙げて女性の活躍を推進していることもあり、銀行でも産休・育休を取るのは当たり前になってきました」という山本さんですが、「絶対に定年まで働き続ける」と固く決めているわけではないようです。「会社で本当にやりたいことができている人、仕事は仕事と割り切っている人、やむを得ず辞めてしまう人……仕事については、いろんな考え方があり、いろんな働き方があると思います。私の場合、私が一家の大黒柱というわけではないので、自分の意思で比較的自由に選べると思っています」。子どもが生まれると、どうしても子ども中心の生活になりがち。この育休・産休中に、今後どのように仕事と向き合っていくか、自分の人生目標を考えていくつもりだそうです。
"50周年改革"を経た
母校の印象は……
金蘭千里に在学中は「この学校はこのままずっと変わらないんだろうな」と思っていたという山本さん。しかし"50周年改革"で変わりつつある母校について、「制服が変わったことは驚きました。遠足や体験型学習、文化祭などの行事、クラブ活動など、いろいろ変わりましたね」と、少しうらやましそう。そんな金蘭千里を、子を持つ親の立場から見ると、「先生方の面倒見がよく、勉強習慣が身につくところが良い」のだとか。学校の改革については「子ども自身が志望校を選ぶ時は、勉強スタイルよりも制服やクラブ、課外活動、海外研修などを重視しがちですから、良い改革だと思います。親としても、しっかり勉強もしながら、プラスアルファで他の活動も充実しているのは魅力的ですね」と好意的でした。
卒業して11年。社会人として活躍し、親の立場にもなった山本さんが振り返る金蘭千里とは、どのような学校だったのでしょうか。「絶対的な厳しさがあったと思う。その環境下で、同じメンバーで過ごす6年間で培われるものは、とても大きいと思います。文句を言いながらも、厳しい状況を自分なりに消化して、対処する力を身につけました。先ほどお話しした"体育会系"に少し似ているかもしれません。厳しい環境の下、限られた範囲内ではあるけれど、その中で今を最大限に楽しもうとする力が生まれるんです。その力は、社会人になっても、家庭を持ってからも、きっと生きてくるはずです」