金蘭千里中学校・高等学校

中高一貫・男女共学

大阪府吹田市藤白台5丁目25番2号

TEL:(06)6872-0263

ひとびと

卒業生

卒業生座談会

医療の道へ
進んだ
卒業生たち

医学部生対談(2015年実施)

【座談会出席者】38期生 大竹由利子 神戸大学医学部医学科→市立豊中病院/39期生 橋本由貴 神戸大学医学部医学科→県立尼崎総合医療センター/43期生 楠山友梨 和歌山県立医科大学医学部医学科6回生/45期生 塩屋暁子 神戸大学医学部医学科4回生/46期生 藤山和士 大阪大学医学部医学科3回生/47期生 金山涼加 関西医科大学医学部医学科2回生/48期生 井手菜月 滋賀医科大学医学部医学科1回生/【聞き手】渡辺徹 金蘭千里中学校 国語科教諭(医系小論文・面接講座担当)
(※肩書は実施当時のものです。)

2015年に創立50周年を迎えた金蘭千里。生徒一人ひとりと向き合った、ていねいな教育によって"学力を伸ばす"実績は全国屈指。そんな中から医学部へと進む卒業生も多く輩出してきました。金蘭千里で教壇に立って15年目(当時)の渡辺徹先生と、渡辺先生が担任を持ち医療の道へ進んだ卒業生が集い、医学部へと進んだきっかけ、医療への想い、そして懐かしい母校での思い出について語り合いました。

医学部生として、
医師としての日常

 毎日2時間かけて通学しているという井手さん(48期生)。医学部1回生としてのキャンパスライフは「1限から5限まで授業があるのですが、合気道部に入っています。週2回の部活に加えて、新たにバレエとダンスも始めました」と、課外活動もとても充実した学生生活を楽しんでいるようです。
 医学部2回生の金山さん(47期生)は解剖実習と試験に追われる毎日ですが、陸上部に所属して長距離を専門に部活動にも打ち込んでいます。もともと文系に進もうと考えていた金山さん。数学などは苦手科目だったそうですが、「入学したら大丈夫でした。ついていけてますよ」と笑顔。
「覚えることが多いから、文系の人の方が医学部は向いているかもしれない。大学に入ると物理や化学、数学などの授業はあまりないし」というのは藤山さん(46期生)。すると橋本さん(39期生)が、「仕事となると、理系の考え方が必要なことも」と、現役医師ならではのアドバイス。医療系に従事するには、文系にも理系にも柔軟に対応できる頭脳が必要なのかもしれません。
「医学部の勉強は文系の方が向いている」とコメントし、高校時代は校技でもある男子サッカー部での活動に打ち込んだ藤山さんは、現在3回生。AMSA(アジア・メディカル・ステューデント・アソシエーション)という、アジアの医学生が多数加盟する団体に所属し、交換留学のコーディネートに携わっています。大学の授業だけでは得られない、実体験を通しての知識や人間力も身につけています。
 高校時代は校技でもある女子バレーボール部のキャプテンを務めた塩屋さん(45期生)は、3回生までの授業は基礎的な物が多くモチベーションが下がっていたと言いますが、「今年から消化器、内科と具体的な勉強が増えてきて楽しくなってきました」。
 6回生の楠山さん(43期生)は、実習先の病院で現場を経験することで自分の適性などを考えながら、「消化器内科や婦人科、乳腺外科などに進みたい」と具体的な方向性を見つけているようです。
 一方、医師として2年目の橋本さん(39期生)は、神経内科の「頭の中での障害が身体の機能に反映される」ことに関わる中で、そのメカニズムを解明したり、看護師やリハビリスタッフとともに患者さんが実生活で動けるようにケアをしていくことに充実感を感じているそうです。また「何かを計画して実行する力を身につけたい」と休日には息抜きを兼ねて1人海外旅行も楽しんでいるとか。
 病院勤務5年目の大竹さん(38期生)は「激務です」と即答。病院業務では検査、診断、治療を行っていますが、「医療機器の発達で、切らずに治すことができる場合も。難しいけれど醍醐味でもある」と、医師としてのやり甲斐を語ってくれました。消化器内科は緊急を要する患者さんも多く、通常でも夜遅くまでの仕事が続く中で、ひと月で9回の緊急コールや当直などもこなしたとか。2人の医師としての日常についての話に、医学部在学中の5人は身を乗り出して聞き入っていました。

「人を助けたい」
「手に職をつけたい」
――堅実な人間性を育む、
金蘭千里中学校・高等学校
での6年間。

 卒業生のみなさんが医療の道を志した理由を聞いてみると、実にさまざまな答えが返ってきました。

 大竹さん(38期生)は「小学生の頃から医師になるのかなと漠然と考えていた」と言います。救命救急をテーマにしたテレビドラマにも影響され、医師になる志を高めていた高校1年生の頃、研修医の過労死などが社会問題となり、母親から反対されたとか。「建築士など他に手に職をつける仕事や警察などの仕事も考えてはみたものの、やっぱり医師以外は考えられなかった」という強い意志のもと、担任の先生との3者面談で母親を説得し、医学部に進学。「今思うと、初志貫徹して良かった」。
 もう1人の現役医師である橋本さん(39期)は「何か手に職をつけたい。そして、人を助けるような仕事をしたい」という想いから、医師の道へ。父親が医師だったということもあり医学部へ進学を決めたのだと言います。
「親族に医療関係者が多く、幼い頃から医療系に進むんだろうな」と考えていたという楠山さん(43期生)は、"医師"はハードルが高いと感じて敬遠していたと言います。しかし、高校2年生の時にお祖父様が入院し、担当の女性医師との出会いをきっかけに「医者という仕事を身近に感じ」、医学部進学を決心できたそうです。
「小学生の頃は小学校の先生、中学生の頃は中学校の先生になりたいと思うほど、人に影響されやすい」というのは塩屋さん(45期生)。ドクターヘリをテーマにしたドラマを見て、救命活動を行う姿に感動したことは医師を目指す大きな動機になっているとか。「高校1年生の頃、学校からいただいた職業ガイドブックでいろんな職業を調べてみたんですが、一生懸命打ち込めるのは医師だと思えました」と、"人の命を助ける、救う"という使命感に魅力を感じたことが医学部進学につながりました。
「進路については高校3年間、ずっと迷いました」という井手さん(48期生)は、なんとなく医師にあこがれる気持ちは持っていたそうですが、「なんとなく、で医師になっていいのか」という不安もあったと言います。しかし、興味を持てる職業を1つ1つ調べていくうちに"医師"と"研究者"という2つの選択肢が残り「医師なら、どっちもできる」と決心して医学部を目指しました。
 小学生の頃にアメリカでの生活を経験した藤山さん(46期生)は、医学部卒業後は臨床経験を経た後、厚生労働省の医系技官を目指しています。「子どもの頃に英語が話せなくて、なめられたという悔しい想いがあって。これから先進諸国を相手に日本が勝てることは医療だ」と感じたことをきっかけに、日本の医療現場を良くしていこうと考えています。

 高校1年生の文理選択直前まで文系を選択しようと思っていた金山さん(47期生)は、心理学の道へ進むつもりでした。しかし、「心理学は後からでも勉強できる。大学で医師の資格を得てからでも遅くない」と医学部を目指しました。医師なら自分が勉強したことで直接人のお役に立てる、という点も大きな魅力だったとか。「数学とか全然できなかったんですが、数学が苦手でも勝負できる医学部を見つけて、入学できました」という金山さんに、小論文・面接の指導を担当した渡辺先生は「ほぼ国語の力だけで行ききったね。すばらしいと思いますよ」と、その強い信念を絶賛していました。
 7人それぞれに医療の道を選んだ理由は異なるものの、全員の心に共通していたのは"人の役に立ちたい。人を助けたい""手に職をつけたい"という気持ち。金蘭千里で育んだ豊かな人間性や真面目さから生まれた気持ちなのかもしれません。

金蘭千里中学校・高等学校で
何かに取り組んだ思い出

 金蘭千里は50年という歴史の中で、さまざまな進化を遂げてきました。かつてその活動内容が限定的だった頃からクラブや文化祭などにも積極的に取り組み、生徒達は多様な活動を通して勉強だけでは得られない体験に触れています。卒業生たちが金蘭千里での思い出を語り合う中で、在籍した年度によって進化してきた金蘭千里の姿が見えてきました。

生徒の自主性を高める高中祭

 高校1年生の時から高中祭が変わり、クラス発表を行えるようになったという金山さん(47期)は、3年間実行委員を務めました。現在とは違い、当時の実行委員は「会議で指示されたことをクラスに伝え、クラスの活動をまとめるだけ」だったとか。現在の実行委員会の総務担当は、発表・展示教室の振り分けなど広く企画運営を取り仕切っていることを知ると、「今の子がうらやましい。もっといろいろやりたかった」と少し悔しそう。井手さん(48期生)の学年は中学3年生からクラス展示が始まりました。高校3年生の時に実行委員を務めた井手さんは、「授業に関係した展示をしようと、源氏物語をミュージカル仕立てで発表しました」。また井手さんは合唱祭にも深い思い入れがあり、「高校1年生の時に優勝できて、うれしかったです」と楽しそうに話してくれました。「私達にとっては、クラス単位で発表する合唱祭が文化祭の代わりみたいなものでした」というのは楠山さん(43期生)。中学3年生の時に発足まもないテニス部で活動しましたが、今では100人を越える部員も、当時は人数が少なかったとか。

充実するクラブ活動

 そんな話をうらやましそうに聞いていたのが大竹さん(38期)と橋本さん(39期)です。「テニス部ができたのは高校3年生の頃。ちょっと衝撃的でした」という橋本さん。当時のクラブ活動は限定的でした。高中祭のクラス発表もなく、合唱祭も、中学1年生や高校1年生はクラス単位の参加ではなく、学年全員や音楽選択生で歌うだけ。そんな橋本さんの思い出に残っているのはキャンプで行われるスタンツで、「渡辺先生から、君はキャンプの時だけ元気だねって言われた」ことだそうです。「文化祭もなく、キャンプでのスタンツが、唯一のイベントだった」と当時を振り返ります。「在学中からテニス部を作って欲しかったけど、卒業してからできたんですね」という大竹さんは、独自にテニススクールに通っていたと言います。テニスだけでなくピアノにも取り組み、ショパンを弾きこなす腕前に。勉強はもちろん、スポーツや音楽にも真摯に取り組んでいた大竹さんは、「中高生の部活ができたのは良いこと」と、これからの改革にも期待していました。

50周年改革――
変わりつつある母校に
ついて思うこと。

 金蘭千里の50周年改革では、生徒がより多くの好きなことに打ち込める環境をととのえています。「今までの卒業生も、真面目に勉強しながらもそれぞれ習い事や趣味に打ち込んだりしてきたから、たとえ学校行事が拡大したり、クラブ活動が盛んになっても集中して勉強に取り組む力はあると思う」という渡辺先生。

大幅に拡大した校外学習

 たとえば校外学習。「高校1年生で嵐山を散策した」という楠山さん(43期生)が、初めて校外学習を経験した世代です。「京都の伝統文化を体験した」金山さん(47期生)、「須磨の水族館でイカや魚の解剖実習を行った」井手さん(48期生)と、最近の世代になるほど、校外学習の内容も体験型に変わってきています。
「学校に満足していました」と語る塩屋さん(45期生)ですが、ただ1つだけ「あればいいな」と思っていたのが、「幅広いクラブ活動」だそうです。「でも私たちは、クラブ活動が盛んじゃなかったから勉強に打ち込めたのかも」と言いながらも、両立できたら理想的だと語ってくれました。

50周年改革への期待

「私たちの頃の高中祭は、バレーボールをしてアイスクリームを食べるだけ。今の子たちはいろんな経験ができていいですね」と大竹さん(38期生)が言えば、橋本さん(39期生)は「金蘭千里の子って、言われたことをキチンとやる、良い子。でももっと自主的に何かするとか反骨精神があってもいいのかなと。今の仕事をしていると、何かを考え、組み立て、時に独創性も求められるので、そういう素養を中高生時代に養えることはいいことだと思います」と、50周年改革に期待を寄せます。
 藤山さん(46期生)は「改革は良いこと」としながらも「今まで、良くも悪くもいわば"護送船団方式"だっただけに、上下の差が出るのではないか」と少し心配している様子です。「今まで勉強だけしてたら何とかなったのが、スポーツや行事に打ち込んだ場合、その人のキャパシティの広さによって、成績に差が出るかもしれません」。しかし、中高時代から多くのことを経験し、打ち込み、キャパシティを広げる訓練となるだろうこの改革に期待していると、今も多忙な医学生生活の中、自ら時間を見つけてはスポーツに取り組む彼は話してくれました。
「高中祭や合唱祭など行事が活発になっていく過程を目の当たりにした」という井手さん(48期生)は、受験勉強で忙しい高校3年生の時に実行委員を務めるなど大変なことも多かったと言いつつも、「勉強の合間に文化祭のことを考えることで計画性が身についたり、人間関係作りなどの面で人間的に成長できたりしたと思います」と金蘭千里の進化に満足しているようでした。

「20分テスト」
「個別対応」という伝統

 金蘭千里では、毎朝「20分テスト」が実施されています。毎日のことなので大変そうですが、このシステムが生徒たちの確かな学力につながっているようです。また苦手な科目、さらに伸ばしたい科目、受験必要な科目等の勉強も、先生による個別対応で着実にフォロー。先輩たちがそれぞれ医学部受験に必要な学力を育んでいった様子がうかがえました。

伝統の「20分テスト」が学力のベースをつくる

 20分テストを「毎朝、ひたすらこなしていた印象」という大竹さん(38期生)は、毎日コツコツやったからこそ、付け焼き刃ではない、しっかりした知識や学力が身についたと言います。「高校時代の担任だった先生が物理のとても熱心な先生で、理科の学力は先生に伸ばしてもらった」と先生の名前を挙げると、卒業生全員が「なるほど」と納得顔。物理の白江先生の指導ぶりには学年を越えて定評があるようです。
 橋本さん(39期生)は、「20分テストがあると、その前はどうしても勉強する。追試も、再々々追試と……何度でもやっていただけたので、受験勉強に入る時に、大きな遅れをとることなく、最低限の学力のベースができた」と振り返ります。「放課後に自習室で少し勉強するだけで、家では勉強しなかった」楠山さん(43期)も、無理なく20分テストをこなしていたおかげで医学部に合格できたと言います。また英語も、担任の先生の個別指導のおかげで塾に通うことなく実力を伸ばし、センター試験で95%をマークしました。

一人ひとりに真摯に向き合う「個別指導」。先生との二人三脚で医学部を目指す。

「先生が大好きだった」という塩屋さん(45期生)は、個別指導で「数学の学力をものすごく伸ばしてもらいました」。職員室に質問に行くと、真剣に答えてくれる先生たちの姿勢に、"より勉強を頑張ろう"という気持ちになったとか。
 金蘭千里が医学部受験のための小論文・面接の個別指導に向け本格的に動き出した最初の受験生だった藤山さん(46期生)。医療問題に関心があった藤山さんは、「渡辺先生と、医療政策などについて話し合い考えを深める個別対応の時間を持てたおかげで、自分でも調べ、考えをまとめていけた」と言います。
 文系志望から医学部受験へ方向転換した金山さん(47期生)は、「医学部受験を決めてから授業をしっかり聞くようになって、20分テストでも点が取れるように」なり、専願・推薦で受験するための20分テストの評価も上がっていきました。「どうしても医学部に入りたいと言うと、先生方も応援すると言っていただいた。金蘭千里のような学校じゃなかったら、医学部に入れていなかったと思う」。
 医学部受験に際して1度も塾に通うことがなかった井手さん(48期生)は、「合格できたのは、この学校のおかげ」と強く言い切ります。「自分で問題集を買って問題を解いて行くと、先生が私のためだけにいろいろ考えてくださって。医学部受験のための面接や小論文の指導も、本当に時間をかけて向き合ってくださいました」。金蘭千里の先生方の指導や応援を受けて頑張ってきた井手さんは、「センター試験の時に、頭の中で先生たちの声が聞こえてくるようだった」と、先生方が勉強面だけでなく精神的な支えでもあったようです。

学力と人間性を磨く
絶好の学び舎・金蘭千里。

 毎日の20分テストで、日常的に勉強する姿勢と学力を身につけることができるという金蘭千里の伝統。生徒一人ひとりに向き合って学力を伸ばす個別対応。医学部受験に向けた面接・小論文指導など、卒業生の話を聞いていると、生徒の進路希望を実現するために生徒と一緒に歩んでくださる先生方の姿がうかがえます。また50周年改革に向けて活動の幅を広げてきたクラブ活動や高中祭も、年々その内容は生徒達の自主性を育み豊かな人間力を伸ばしていくものに進化しているようです。

これから医療の道を志す後輩たちへ

 後輩たちに対して藤山さん(46期生)は、部活に打ち込みながらでも「上手く時間を見つけて勉強するという術を身につけて欲しい」とエールを送ります。
「この学校は、勉強するしかない環境」という金山さん(47期生)は、「だからこそ勉強以外で、部活でも学校行事の実行委員でも、習い事でも何でもいいので、6年間、自分はこれに取り組んだぞと言える"何か"を見つけて欲しい」。
 医師として活躍する橋本さん(39期生)からは、"絶対に失敗は許されない"医療現場ならではのお話を。「仕事をしていると、ここまではできる、これ以上はできないという自分のキャパシティが見えてきます。医学部生はプライドが高いので"できる"と言いがちですが、自分のキャパシティと実力を見極めて、時には人に頼るという誠実さを持って欲しい」と、医師に必要な人間性を語ってくれました。
 同じく現役医師の大竹さん(38期生)は、「20分テストで学力をつけ、医学部受験のベースができる」と、金蘭千里は医師になりたい人にとって絶好の環境だと言います。「つまずいたら、助けてくれる先生がいる」ことも生徒たちの心の支えです。「今、約20人の患者さんを同時に担当していますが、どのようなスケジュールで診察治療にあたるか、優先順位を考え、計画を立てて動くのは金蘭千里で身についたことだと思います」と振り返り、金蘭千里の後輩達が医療の道へ進むことを応援してくれました。

 座談会の最後に、渡辺先生は「大竹さんと橋本さんは、金蘭千里出身の医師の理想的モデルケース。誠実で、自分と向き合って一生懸命で……そういう生徒が多いのも金蘭千里の良いところだと思います」。これからの医療現場を担っていく医師、医学部生のみなさんの活躍に期待と応援の言葉をかけておられました。

もくじに戻る