教員
教員インタビュー
体育
中尾具代
体育科主任。生徒指導主任。バレーボール強豪校から日本体育大学卒業。大学時代は1991年に世界選手権、1992年にアジアジュニア選手権(主将)、1993年にユニバーシアードに出場。1994年のインカレ3位。肩を壊すが実業団の9人制バレーボールでも活躍。最近はゴルフを趣味としている。もともと「2日休みがあれば行く」というほどの旅行好き。部活が多忙になりなかなか遠くには行けないが、近場でもグルメ旅を楽しんでいる。社交家でもあり、同僚や他校教員の友人とお酒をたしなみながらの情報交換も。
強豪校でバレーボール漬けの日々を送り、卒業後も9人制実業団チームでプレーしていた私にとって、バレーボールが校技である金蘭千里への赴任は、何か縁を感じました。とはいえ、当時の生徒達には「投げる、跳ぶ、走る」といった運動の基本ができていない子もたくさんいて、距離感がつかめないとか床で突き指をする等、体力や筋力がある前提でスポーツをやってきた私からすると驚きの連続でした。何気なくやってきた運動というものを改めて見直し、人間の身体がどう動くのか考えると気づくこともたくさんありましたね。体育の授業では、運動経験が少なかった生徒の特性も見極め、安全面等に配慮して行っています。校技なので、授業でバレーボールを行う比率は高く、中学高校と6年間続けることになります。最初は何もできなかった子も、6年続けると「こんなに上手くなるんだな」という喜びにつながっているようで、みんな本当に楽しそうにやってますね。バレーボールはコートにボールを落とすことがないように、他人のカバーに入る等、思いやりが必要なスポーツ。バレーボールを通して、そうした人間性も成長していって欲しいと思いながら指導しています。近年はクラブ活動が増えたこともあり、全体的に活発な生徒が増えたようで、少しずつ体育の授業の質も変わってきています。
50周年改革前は盛んではなかった部活。大阪の高校バレーボールは1〜4部のリーグ制になっていますが、顧問になったバレーボール部は万年4部でした。でも、レベルはどうあれ試合をすれば勝ち負けはつくんです。かつてのバレーボール部のキャプテンの話ですが、中2で初めての対外試合で負け、ものすごく悔しい思いをしたんです。高校生になって、それ以前に昇格していた3部から4部に下がってしまうのですが、3年の年始に「このメンバー全員で3部に戻る!」と強く決意表明。その力強さに心を動かされた部員全員で猛練習を重ね、3部に返り咲いた時は本当に感動しましたね。「バレーボールをしたい」「勝ちたい」という気持ちは、強豪校であっても、そうでなくても同じ。限られた練習時間の中でどれだけがんばれるか、どれだけ強い気持ちで臨むか、なんです。金蘭千里の部員には伸びしろしかないと実感しました。負けず嫌いな気持ちは部活以外でもよく見られます。校技のバレーボールでのクラスマッチでは、負けてものすごく泣く生徒も。スポーツでの勝負を経験したことがない子が初めての負けを味わうわけです。こういう「悔しい」という感情も、大きな経験になってほしいですね。
金蘭千里では体育祭も生徒主体で運営します。教員が下準備はしますが、委員に選ばれた生徒は何度も打ち合わせを重ねながら、どのように運営するか考えたり、全校生徒の前で説明をしたりしてリーダーシップを身につけていきます。最初は「なんで委員になっちゃったんだろう」と思うほど大変みたいですが、終われば大きな達成感があるようです。
今の生徒達に思うのは「強く、やさしくあってほしい」ということ。強く自分の意見を言うには自分もしっかりしないといけない。自分自身も強くなければいけません。また強く主張するばかりでは相手との溝ができてしまうから、そこには思いやりを持ってほしいですね。勉強やスポーツだけでなく、学校のさまざまな経験を通して、そんな精神的な成長をしてくれることを願っています。