歴史学園の生い立ち
わが校の生まれつき ―――――― 佐藤一男初代校長「 ・・・ 私が人間を育てる学校として第一に思いつきましたのは私塾であります。私塾で師と仰ぐ人の下で幾人かの塾生が師に私淑して直接に師の人格的感化に浴し、人間として育成して行く、これが人間を教育する原形であると感じました。師の人間的感化を直接に感受するためには弟子があまり数多くては困難です。しかし弟子の切磋琢磨ということも必要であることも考え、一学級三十名と定めました。 ・・・ 今日の学校も単に知識を修得するだけでなく生徒が在学期間に己の人格を作り直すというのであれば、学校を一つの道場と考え、・・・ 生徒は学校に入ったことは己を練磨するため道場に入ったつもりで、日夜己を鍛え己を磨くことに精進しなければならない。私が学校を作るとすればできるだけ道場の空気を帯びた学校を作りたいと思いました。 ・・・ 私が学校を作るならば、そこで自主独立で個人としての権威をもって己を磨き、やがて成人すれば多数の人がそうしているのだから、同じようにしようというようなことのない、付和雷同性のまったくない堅固な個人として終始するような学校を作りたいと思いました。 人があなたのスポーツは何ですかと聞かれた時、これといったスポーツをやっていないと答えるのはその人の一生がいかにも貧弱で淋しい。人はできるならば若いうちに、何か一つのスポーツを徹底してやり、スポーツマン・シップを体得することが必要であろうと考えまして、男子はサッカー、女子はバレーボールと定めました。 ・・・ わが校に来る青少年を見ますといかにもひ弱く神経質であります。日々に成長しているこの成長期の青少年はもっと多く自然に接し、でき得れば山野の草木の間に伏して草木と息を共にし、陽を仰ぎ星の光を眺めて生活し、自然の持っている逞しい生命力を己の中に吸い込むべきであると考え、各学年ともキャンプを行うように計画しました。 ・・・ 」 (学校だより<創立10周年記念号昭和49年11月発刊> より) |